形意拳術

山西の名手『戴龍邦』

 戴龍邦、字を尔雷、生没年は約1714年―1802年、一説には約1720年―1809年、康熙帝の時代から嘉慶帝の時代にかけて生きた人物です。山西省祁県小韓村の村人で、幼いころから武術を好み、家伝の武術も継ぎ、池州の曹継武から心意六合拳を授かり、十年間苦練の末大成し、晋へ帰郷しました。乾隆十五年(1750年)に河南洛陽を通っていた際に、同門の馬学礼に遭遇し、馬学礼の書斎で『心意六合拳・序』を執筆しました。

 一説には戴龍邦は李貞と螳螂拳師の金世魁らからも指導を受けたと言われており、手書きの拳譜にそれは記載されています。ただし戴氏の心意拳には螳螂拳の要素も混ざっており、それは閘勢捶または『螳螂閘勢』とも呼ばれており、それぞれ5趟(套路)あります。また螳螂刀などの器械もあり、現在の形意拳の中にも螳螂拳の技術要素が残っています。例えば雑式捶の中にある風擺荷叶は六合螳螂拳の中の敗歩封、連環拳の進退三崩拳の二つ目の崩拳はもともと退歩横拳で、これは螳螂拳の照面灯と退歩圏捶の姿勢や用法と非常に似ています。勿論これらは推断に過ぎませんが、戴氏心意拳の七小形の中に螳螂形というのは存在します。金世魁とその系譜に関する情報は現在にはなく、これからさらに検証・研究していく必要があります。

 戴氏心意拳は河南で心意拳を広めた馬学礼のものとも違い、また形意拳とも違います。戴氏心意拳の樁法は三体式ではなく、毛猴またの名を『蹲猴勢』といい丹田を斜めに上げ丹田を養います。身法は鶏脚、龍身、熊腰、鷹膀、猴背、虎豹頭が規矩であり、歩法には寸步、虎步、垫步、鶏步、長三步、践步、閃步、退步等々あります。その拳法の内容としては劈崩鑽砲横の五行拳に龍虎蛇猴馬鷹鷂燕鶏熊の十大形があり、戴龍邦の主要な伝人としては息子の戴文亮、甥の戴文雄、娘の戴文英及び郭維漢らがいます。また戴文雄が教えた戴龍邦の再伝弟子には戴良棟、李洛能と子の忠明、忠挙らがいます。なお李洛能は後に戴氏心意拳の基礎から形意拳を確立させます。戴良棟は戴奎とその甥の戴宏勳らに伝え、戴奎は岳蘊憲、馬二中、王歩昌、王映海らに伝えました。その後、伝人がそれぞれ別の弟子を持ち、現在までに約七代にわたり山西省の戴龍邦から伝わった戴氏心意拳は継承されています。

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