形意名手シリーズ,  形意拳術

【形意名手】日本に形意を伝搬させた達人『郝恩光』

 郝恩光、字を海朋、生没年は約1871年―約1923年とされ、河北省任丘で生まれました。幼い頃から武術を練習し李存義の入室弟子となりました。彼はかつて関東で鏢曲を経営しており、困っている人を助ける寛大で義理堅い人物でした。

 1922年天津武士会の教授に任命され、1914年に日本へ派遣され日本に留学している学生の体育研究の為に派遣され、また東京では形意拳と八卦剣を表演し一挙手一投足に万雷の拍手を浴び学生や日本の教育関係者から高い評価を受け、後に東京の小石川運動場で形意拳を教え、日本に形意拳を広めた最初の人物となりました。

 尚云祥は李存義の大弟子ですが、郝恩光の功夫と拳法は弟子の中でも最も優れていたといわれています。その後兄デイに誘われ、軍の福大隊長となりましたが、東北剿胡子を追っていた際に流れ弾が頭に当たりこの世を去りました。郝はこの世を去る前に「我的拳環没練好!不然,我就躱過子弾了。(私の拳はまだ練りきれていない。もし、練りきれていたのなら、弾を躱すことができただろう。)」と言い残しました。

 郝恩光先生がこの世を去ったのが早かったために、門人は多くありませんでした。有名な方だと李玉琳、駱興武と郝の子である郝家俊らがいます。

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