形意名手シリーズ,  形意拳術

【形意名手】単刀李と恐れられた達人『李存義』

 李存義、字を忠元、生没年は約1847年―1921年で清代の道光帝の時代から民国10年にかけて活躍した人物です。河北省深州小菅村の生まれで、最初は劉奇蘭に拝師し、又董海川から八卦掌を習い、郭雲深からより事細かに指導を受け、程廷華とは友人でありながらも八卦掌を習い、その技量は同輩より大変優れていました。

 彼は寛大さと正義感を持ち合わせており、それにより多くの武術との深い親交があったため、清代の光緒二十六年(1900年)に弟子引いて天津地区の義和団に参加し、八カ国連合軍と抗戦し、手にした一本の刀で勇猛に先陣を切ったことから当時の人々からは「単刀李」と呼ばれていました。宣統三年(1911年)には叶云表と共に中華武士会を設立し、副会長・教務主任を突溜めました。後に江西省の南坪学校へ武術教練として赴き、馬子貞将軍と共に司令部教官としての職務に復帰しました。

 1918年に門人の韓慕俠、李剣秋らと張占魁を率いて北京の六国飯店でロシア人のプロレスラーの康泰尔に勝利し、中国の威信をかけた功績により政府から第一級金メダルが授与れました。

 李存義の弟子には尚云祥、郝恩光、黄柏年、王俊豆、周玉祥、李彩亭、李耀亭、李文亭、李文豹、郭永禄、麻錫广、左振英、傅剑秋、李云山、馬玉堂、趙云龍と李存義の子である李彬堂などなど武術界において有名な方を多く輩出しております。

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